制限、変化、何でもいい

生活や仕事、学校なども色々と変化があったこの3〜4年。
私の身近なところでも、大きく変化していきました。
今現在、それ以前に戻っていくこと、変化のまま進んでいること、社会的、個人的にも様々です。

先日、仕事の形態や職種を変えざるを得なかった方が、以前のように戻していくべきか、このまま進んでいくべきか、悩んでいるというお話がありました。
”べき”よりも、”どうしたいか”について話していただくと、家族のため、生活のため、という言葉がたくさん。
やりたいことに踏み出すことが出来ない、というご相談の中で、必ずというくらい出てくる言葉です。

家族のためにできませんか?家族のせいですか?

それは、家族のため、という言い訳で、新しい場所へ踏み出す恐怖を隠しているのかもしれません。
もしくは、本当はそれが幸せだと感じているのに気づいていないのかもしれません。

制限なくやれるとしたら、何をしたいですか?
ただ、現実を考えた時、「家族のため」は制限ではなく、あなたの幸せだと感じることはできませんか?
家族がいることの幸せ、家族が笑っていることでの喜びを、幸せだと感じているから「家族のため」という言葉が出るのかもしれません。

やりたいことも出来ず、ただ家族のために働くだけ。って、言い方はおかしいと思います。
愛あることなのに、なぜ被害者のように感じてしまうことがあるのでしょう。
きっと、そのことに気づき、幸せを感じている人は、本当の「愛の人」。

制限の中にいることも、望んでそこにいるのならば、それでいいはず。
制限の中にいたり、逆に、共感や右に倣えが出来ないのは、なぜダメな人になるのでしょう。
そこで安心安全を感じ、穏やかでいられるのならば、そこがその人の居場所であり幸せ。

誰かの形に全てを当てはめないでください。
私には私の、あなたにはあなたの形があります。
あなたの形は他人から見たら歪でも、あなたやあなたを本当に知る人から見れば、眩しい光。
同じように
他の人の形も眩しい光。

あなたの本当の幸せはなんでしょう。

ちょっと思うことがあり、書いてしまいました^^;

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